2006年02月01日

イノセント・ボイス〜12歳の戦場〜

[90点]
 いやはや……不明を恥じるばかりです。そしてこう叫びます。
 「おまえら、ホテル・ルワンダを見てる暇があったらコレを見ろ! ってか、どっちも見ろ!」と。
 ホテル・ルワンダのエントリで、セットで見るべきは「ロード・オブ・ウォー」と書きました。違います。コレです。この作品こそが、「ホテル・ルワンダが目をそらしていること」なんですよ。これを見てしまうとね、ホテル・ルワンダは本当に、「ある国の超上流階級の人間が戦時に及んでおたおたうろたえた話」にしか見えなくなります。
 「ホテル・ルワンダ」がダメだといってるんじゃありません。この作品がキツいんです。そして、この作品がシネスイッチ銀座の単館上映で、映画の日1000円サービスデーでも席が埋まらない事実に、日本人の感覚というものが透けて見えてくるではありませんか。

 戦争の悲惨さをフィクションで知らしめるとき最も重要なことは、「戦争とは、市民にとっては日常生活である」ことをきちんと伝えられるかどうか、だと思っています。たとえ戦時だろうと、毎日泣き笑いがあり、食事して洗濯して学校行って、経済活動も続いているはず。
 そこから目をそらし、ただ悲惨で不自由な状況だけを取り出す脚色を加えることは、事実であるはずのものを「嘘」に変える愚行です。感動は呼ぶかもしれませんが、歴史的事実への関心は損なわれるでしょう(日本って、戦争物というとそういう作品ばっかり作ってる気がするんですけどね)。

 その意味で、本作は未だかつてない傑作です。
 事実に基づく作品ですが、フィクションでさえこれまで見たことのない設定で物語が進行します。なんとなれば、「政府軍と反政府ゲリラの勢力境界線直上の町」が舞台なのです。つまり内戦の最前線です。
 町ですから、主人公チャバの家族を含め、多くの人が暮らしています。学校もあります。教会もあります。バスが行き交います。でも最前線なんです。
 チャバは学校に行き、友達と遊び、食事をし、脈絡なく政府とゲリラ間の銃撃戦が起きてベッドの下に隠れ、ラジオを聞き、バスの車掌のバイトをし、初恋をし、脈絡なくまた銃撃戦が始まって流れ弾で隣人が死ぬ、そんな日常を繰り返すのです。
 この脈絡のなさはスゴイよ。ホントに、この映画は、日常を積み重ねてるだけなんです。普通なら眠くなってしまいそうな話なのに、「戦争」が加わってそれを許しません。

 さらに、物語が11歳から始まっているのが肝です。舞台である内戦下のエルサルバドルでは12歳で否応なく純粋な子供時代が終わります。政府軍が、12歳になった子供を人さらい同然に徴兵するからです。それがいやなら、逃げて反政府ゲリラに身を投じるしかありません。
 日常を繰り返す描写はすなわち、人生の決断をしなければならない刻限が近づいていることをも意味するのです。

 やはりホテル・ルワンダのエントリで、私は「『日常』の範囲だけを語って、誰にでも伝わるひとつの物語とするのは、並大抵のことじゃない」と書きました。
 本作はそれに成功しているばかりか、日常そのものの緊張感と、日常を失うことへの緊張感を二重に張り巡らすことにより、スクリーンから一瞬たりとも目を離させない見事な映像を作り上げています。傑作です。
 「亀も空を飛ぶ」も似たシチュエーションの傑作ですが、かの作品は最前線ではないこともあってこれほどの緊張感はなく、いま思えば極めて牧歌的な作品といえましょう。

 ただ、一点どうしても腑に落ちなかったことがあります。以下ラストまでネタバレ。


 「亀も空を飛ぶ」を引き合いに出しましたが、この2作品は「冒頭のシーンがクライマックスに繰り返される」という共通の構成を持っています。
 で、不思議なことなんですが、両作品ともこの構成が欠陥になっています。「亀も空を飛ぶ」では、冒頭のシーンだけでは何が起きているのかまったくわかりません。クライマックスにおいてようやく「あぁ、そういうことだったのか」と思うワケなのですが、「そう思わせる必然性」がまったくありません。逆に、クライマックスで「そうなる」ことは、最後まで隠されていた方が衝撃的だったはずです。
 「イノセント・ボイス」においては、冒頭のシーンが完全にミスリードを誘います。つまり、主人公を含めた子供たちの連行シーンから始まって、物語が「12歳になったら子供は徴兵される」ことを軸に進むのですから、クライマックスにこのシーンが繰り返されれば当然、「ゲリラから連れ出された子供たちは、政府軍に加えられてしまうのだな」と思いますよ。
 ところが処刑が始まるんです。なんで? ここがわからない。徴兵でないのなら、なぜ政府軍は、ゲリラのアジトを攻めたときにその場で殺さなかったのか? なぜわざわざ川辺まで連行したのか?

 その他、この話は日常部分は本当にすさまじいのですが、学校が閉鎖され日常を逸脱しはじめてからは徐々に吸引力が弱まっていきます。ここが残念。
 「敵が同じ子供だと知って撃てず」「親子の絆を確かめ合って」「国外逃げてはいオワリ」なのは、文芸的ハリウッド作品ならともかく、「初恋の人が爆殺され、友達がふたり頭ぶち抜かれるのを目の当たりにした子供」に対する結末としては、どうなんでしょうか。
 事実に基づいてるんだから、しかたないといえばしかたないんですが。
posted by アッシュ at 22:29| Comment(0) | TrackBack(1) | 映画感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック

「イノセント・ボイス」12歳の子供が銃を持つ現実
Excerpt: 「イノセント・ボイス-12歳の戦場-」★★★★ ルイス・マンドーキ監督、2004年、メキシ ポップコーンを 食べながら見ると 罪悪感を覚える映画だ。 1980年、中米の小国エルサルバ..
Weblog: soramove
Tracked: 2006-02-24 19:25