2011年06月22日

「マイ・バック・ページ」について思うこと

 「マイ・バック・ページ」は稀代の傑作だと思う。
 山下敦弘監督は、日本の若手監督では随一の注目株であり、映画ファンなら知名度は高い、と僕は信じている。
 まあ、ここらへんが僕の主観に過ぎないっていったらそれまでなんだけど。

 不思議なのだ。
 この作品に関して感想を書いているブロガーさんがおそろしく少なくないか?

 いつもは何か、邦画のろくでもなさや、それがシネコンのあらかたのスクリーンを埋め尽くす現状をクソミソに書いているくせに、いざ傑作が出てきて、興行側も気合い入れてブッキングして、ときたら黙殺すんのかよ、という状況がすっげえやるせないんですけど。


 ただ、もしかして、とひとつ思うことがある。
 映画業界でアルファブロガーって、マジでそういう学生運動に参加したり肩入れしたりした(つまり、梅山と同じ「遅れてきた男」の立場に立ってしまった)人ばかりなんじゃないだろうかって。
 だから、その時代をフラットに切り取ったこの作品を、本当に理解できないんじゃないか。少なくとも、「論じる」というスタンスで向き合えないんじゃないかって。


 知名度の高い人で、「マイ・バック・ページ」の感想を書いているというと、この方ではないかと思う。
 ───うーむ。山下監督作品って、「対象を理解する」というところに依拠してないでしょ。どの作品も。徹底した客観視。空気を切り取る。それが持ち味の人じゃないですか。

> その思いは今の観客には共有されないかもしれない。だから松ケンの方の話を作りたくなるのだろう。

 「松ケン側の描写が邪魔だから妻夫木クンの主観だけで描くべき」と本気で思ったのだったら、あの自衛隊駐屯地で無関係な自衛隊員が死ぬときの長回しの意味を何もわかっていない。

 ハナから、山下・向井組は、「かの時代の若者の意識を汲み取る」なんぞというスタンスでこのフィルムを作っていない。むしろ「汲み取らない」で作ってると思う。
 「かの時代の若者の意識は理解されねば」「かの時代を生きた観客のリアリティに訴える描写がなされねば」という意識があるなら、この作品に向かい合うには邪魔なんだ。

 「マイ・バック・ページ」の失敗は、あの当時の社会の空気を切り取ってしまったが故に、「自分は当事者だから、評論や感想を述べ立てるのは無理」と感じる人数を、ものすごく増やしてしまったことだったのかもしれない。
 でも、そのせいで、傑作映画が埋もれてしまうのは、すごく悲しいことだよ。
 当時の人にこそ、そこんとこきちんと整理してほしいよなぁ。
posted by アッシュ at 22:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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