2007年02月07日

それでもボクはやってない

[70点]@シネマメディアージュ

 あー、この作品さー、見に行くかどうかすんごく迷ったんだよねぇ。
 評判いいしさー、見に行っとかなきゃなーって思ってさー、でも見てる自分を想像するとねー、なんか胸の奥がこうぞわぞわーってすんのよー。
 で、実際見るでしょー、やっぱ胸ぞわぞわーってしたわけー。
 でねー、胸ぞわぞわー、のまんま終わっちゃったんですよー。

 僕は司法に関係ないし、ましてや犯罪者じゃないですよ。裁判員制の導入も控えて、こういう作品が求められたのだろうし、実際、啓蒙としてはものすごく価値のあるもんだと思う。

 でもねー。
 僕はずーっと前から、もんのすごく悟ってることがあって。


 真実と事実は異なる。
 目の前で起きたことは「事実」とは呼ばない。
 それが事実かどうか裁判にかけて、弁護士立てて検事を立てて、勝った方の言い分が「事実」である。
 「歴史は勝者が作る」のと同じこと。


 それをどんなきっかけで悟ったんだか、全然思い出せないんですが。
 で、こういう認識でいる人間がね、この映画見ると、やっぱぞわぞわーってすると思うのです。なんかすっごく自分自身へのおさまりが悪い。

 本当に、僕は裁判に関わったことはないから、それを知ったのは何かフィクションかドキュメンタリーか報道か、何かのメディアだったはずなのです。僕が評価したいのはこの作品じゃない。

 この作品で、僕の悟りに近いものを多くの人が抱いてくれるのならうれしいけど、少なくとも僕にとってはこの作品はその悟りをじわじわなぞっているだけでした。


 「事実」とは「勝者の言い分」です。
 そして警察や検察ってのは、勝ちにこだわる組織です。社会全体の治安を守るのが彼らの第一義なのですから。
 仮に言い分が平行するならば(ここ重要)、治安組織が個人に敗北することは、むしろあってはならない。単純に言えば、「被害者がいて被害を訴えている以上、犯人は必ず検挙されなければならない」。それが治安というものです。
 不正はむろん許されませんが、冤罪を呼び込んでいるのは、むしろその立ち位置を理解しないししようともしない、「やってないのが事実だという認識」の絶対性を信じて疑わない、「一般庶民」の側にあるような気にしてならないのです。つーか、警察や検察は、「庶民がそうやって自分たちをナメてかかっていることを、最大限利用している」のですよ。


 で、この作品は、すべてを系統立てて理解しながら、それでも「庶民派娯楽」の枠に落とし込んでいます。加瀬亮の、嘘っぽくない、ホントごく庶民の演技には感服しました。
 ただ、「やってないやってない」と叫ぶだけでなく、「自分が疑われている状況」についてもう少し思慮するシーンが欲しかったように思います。


 あー、なんか書いててまたぞわぞわしてきた。
 もう少しネタバレで細かい内容について書きたいところだけど、このへんで終わります。
posted by アッシュ at 22:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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