2013年11月16日

スティーブ・ジョブズ

[70点]@TOHOシネマズ川崎

 言わずと知れたスティーブ・ジョブズの伝記映画。……「言わずと知れて」いない、業界について詳しくない人には辛いかも。

 アップル社の立ち上げから追放、そしてCEOとして再度迎えられるまでの物語。10年先の未来そしてあくまでパーソナルユースを見据えて理念先行で弁を振るう彼のカリスマ性と、それゆえの孤独が鮮やかに描かれています。取締役会との確執がメインになっているあたりは、アメリカ流。
 「ソーシャル・ネットワーク」と似た手応えがあるのは、題材的にしかたないか。その意味では、ザッカーバーグのエキセントリックさの方が、スクリーン映えはしたかな、と思いますね。

 あと、懐かしい機器がいっぱい画面に出てきますが、「稼働する Apple II」が登場しなかったのは、たぶん動作するものが見つけられなかったんではないかと……。


 さて。
 僕は DOS3.3 の頃からのマイクロソフト党である。スティーブ・ジョブズがあまり好きではない。
 なぜ彼のようなカリスマと理念、未来を見据えたビジョンを持っていたアップルが、覇権を握りきれなかったか、マイクロソフトの後塵を拝したか。その理由は僕の思うに、そのカリスマ性にあった。この映画でも、彼とエンジニアの関係が、「伝道師」と「信者」になってしまっていることが示唆されている。
 当時のアップルは、「クール」「クリエイティブ」「イノベーション」が教義の宗教だった。結果的に、教義を受け入れられない人間を排除してしまったのだ。ウォズニアックもそのひとりだったと言えよう。

 ビル・ゲイツは、そういうことに無関心であった。えげつなく売れれば良かった。だがそれゆえに門戸も広かった。クールな未来を作ろうなんて考えない人にもコンピュータをばらまき、ビジョンのない頭がいいだけのギークにもコンピュータエンジニアになれる道筋を開いた。そして当然ながら、そういう人間の方が圧倒的多数だ。
 マイクロソフトは貪欲で泥臭く、意図したかどうかはともかく、玉石混淆のカオスをもたらした。

 真のイノベーションとは、玉石混淆からしか生まれてこない、と僕は思う。ベースとなるテクノロジーの敷衍がまずあって、表面化した不合理や違和感から新たな発想が生まれてくる。そうやって生まれたきれいな上澄みを、アップルは我が物のようにすくい取って「クール」と称するのだ。

 今でこそ、その「上澄みすくい取り」の到達点とも言える iPad が隆盛を極めているが、ジョブズは今や亡く、こうして映画にもなり、ある意味神格化された。
 神を崇め続け清涼な世界の布教を続けるであろうアップルに、次のイノベーションは見えるや見えざるや。



スティーブ・ジョブズ I [ハードカバー] / ウォルター・アイザックソン (著); 井口 耕二 (翻訳); 講談社 (刊)スティーブ・ジョブズ I [ハードカバー]
posted by アッシュ at 16:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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