2015年08月28日

日本のいちばん長い日

岡本喜八版[85点]@キネカ大森
原田眞人版[70点]@109シネマズ川崎

 良い機会だったので、岡本喜八版も合わせて鑑賞。両方、面白かったです。個人的には岡本版に軍配。理由は後述。

 原田版について先に書くと、その特色はやはり、岡本版ではおそらく「畏れ多くて」真正面から描けなかった昭和天皇を、事実上の主人公に据えていることでしょう。日本映画もこれができるようになったか、とうなるとともに、昭和天皇が「歴史上の人物」になった感慨もあります。
 海外展開も視野に入れているようですので、まだヒトラーと並べて語るような欧米人に、多少なりとも実情が伝わればよいなと思います。

 気づいたんですけど、日本って、「君主を奉じて戦争した」人類史上最後の国家なんですね。安部談話にもあったとおり時流を逸したのは確かですが、「王のために命を賭ける」のは歴史的には至極当然といえる価値観です。現代的価値観、あるいは市民革命によりそれを打破済みの欧米視点であれやこれや言っても歪になりかねない、って点は踏まえたいところです。


 本木雅弘演じる昭和天皇はすばらしいです。若々しくキビキビとしていて、しかし涼やかで品があり、「太陽」においてイッセー尾形に感じた不満をすべて払拭しています。
 原田監督の創作のようなのですが、東条英機との対面シーンが出色です。敗戦となれば武装解除は明らかなので、それを阻止したい東条英機は、日本をサザエにたとえ、殻(軍)がなければ身(国民)も生きていけない、と言ってのけます。すると昭和天皇は、イヤ欧米人はサザエなど殻ごと捨てちまうよ、と身も蓋もなく答えるのです。東条英機は二の句が告げなくなり、それどころかこのシーン以降一切登場せず、物語から姿を消します。

 同時に、昭和天皇が自身をナポレオンになぞらえ、「前半生は英雄だったが、晩年は道を誤った。私はその轍を踏みたくない」というセリフもまた、衝撃的でした。つまり、原田眞人は、「昭和天皇自身も、自分が英雄だと思ってた=戦争序盤は、日本軍スゲー! な意識で戦線拡大を推進する側にいた」と断じてるわけです。別の言い方をすれば、「戦犯のそしりは免れられぬ」と。
 事実の一端だとは思うんだけど、一般層に向けた作品で、昭和天皇自身が言葉でそれを認めるかたちで表に出したのって、これが初めてではないでしょうか。

 サザエのたとえにおけるポイントのひとつは、「学名」を持ち出し、それを決めたのは欧米の学者だ、とも言っていることです。欧米は日本を知悉し、その上で、役に立たぬと見限るのだと。昭和天皇は戦争に深く立ち入り、それゆえ敵との力量差をはっきり自覚し、「相手を知る」姿勢の差が優劣を分けたと悟っていたのでしょう。

 しかし、昭和天皇の出番はここでほぼ終了。原田版は、ドラマ性を重視しているわりには、この後の宮城事件のシーンの描写に緊迫感が皆無で、それゆえ阿南陸相の自刃にも威厳がないため、映画自体もここで終わってしまっているのが非常に残念です。
 岡本版を見ていたから、誰がどう動いて何が起きたかがわかりましたけれども、宮城事件自体を知らない人には、「負けを認めたくない軍人が暴れて誰か殺された」程度しか伝わらない描写だったのではないでしょうか。松坂桃李は頑張ってるんだけどねー。


 さて、岡本版と原田版の大きな違いのもうひとつは、語られる時間軸と、それに伴うサブエピソードの選択です。
 原田版は、鈴木内閣の組閣時点から語り始め、「長い日」以前に昭和天皇、鈴木首相、阿南陸相の周囲に起きたことがらをサブエピソードに織り込んでいます。
 岡本版は、ポツダム宣言を受諾するかどうかの顛末をプロローグとし、時計が昭和20年8月14日の正午を指した瞬間にタイトルバックを入れ、そこから物語を始めて、翌日正午の玉音放送で終わります。「長い日」に起きたことがらのみに絞っているわけです。かつ、ドキュメンタリータッチで話を進め、個々の人物の心中にはあまり深く立ち入りません。その構成が緊迫感をより高め、途中休憩すらある長い作品なのに、一瞬たりとも目を離せません。
 そして岡本版は、宮城事件以外に、「長い日」起きた3つのできごとをサブエピソードに織り込んでいます。
 その3つは原田版ではほぼ省かれています。佐々木大尉による首相官邸焼き討ちのみ、申し訳程度に描かれていますが、松山ケンイチの無駄遣いとしか言いようがなく、岡本版の天本英世の迫力には到底及ぶべくもなく、あんなのは入れないほうがマシでした。

 僕が岡本版のほうを高く評価したいのは、「児玉基地最後の出撃」のエピソードの存在です。これが鮮烈な印象を残しています。
 このエピソードには、「庶民」が登場します。

 原田版でもほんの少しだけ「庶民」が登場しますが、扱いがまったく違うことに慄然とします。原田版では、「庶民」は、「巻き込まれるかわいそうな人たち」です。
 また原田監督は、そもそも「なぜ宮城事件が起きたか」について、「東条英機がたきつけたから」と描写します。東条英機がその後、昭和天皇に叱責されるシーンがあるのは前述のとおり。つまり、悪役としてあえて配置したと考えられます。戦争の責任者同士が向かい合い、責任を取って終わらせる、とする昭和天皇と、責任など負えないので先延ばしにしたい東条。そういう構図なのでしょう。しかし、そうやって彼らに押し付けてしまっていいのでしょうか。
 岡本版では、東条英機は、登場すらしません。


 こうしてみると、岡本監督と原田監督では、「戦争の主体」についてまったく思想が異なることがわかります。
 なぜ戦争が起きるのか、なぜ戦争が泥沼化するのか、なぜ多くの軍人が「戦争遂行こそが正義」と信じたのか、何が畑中少佐らを宮城事件へ追い込んだのか。

 原田版のアプローチが間違っているとは思いませんし、実際、新たな昭和天皇像を浮き彫りにした非常に興味深い内容です。でも原田版は、戦争を、「政治家・軍人が」あるいは「歴史上の人物が」為すこと、にしてしまってはいないでしょうか。
 もしその認識で作ったというのなら、同じ内容を映像化していながら岡本版とは深い溝で隔てられているといわざるを得ず、そして僕は、岡本監督が露わにした戦争像にこそ共感します。

 実際の戦時の空気を、腹の底で理解していたであろう岡本監督は、その点を「児玉基地」できっちりとドライに描ききっています。それゆえ、その呪縛を断ち切り、「終戦」を選び取った人々の行動の重みが響くのです。



 あと、キネカ大森で「日本のいちばん長い日」を見たってことは、合わせて、「ゆきゆきて、神軍」も見ています。すげぇな、アクト・オブ・キリングなんか目じゃないや。日本にもこんなドキュメンタリーがあったんだなぁ。
 主人公たる奥崎氏の恫喝めいた行動にはなんらの賛同もしませんが、そのような行動基準を定めるに至った背景が背景だけに、口をつぐむしかない。そのうえであの顛末を見せられるのは、見る側にも大きな覚悟を要求するきっつい作品でした。
 ラストシーン、新聞記事を出すだけにとどめてるけど、あれ絶対スタッフその場にいたよね。



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posted by アッシュ at 16:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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