2016年11月25日

この世界の片隅に

[85点]@ユナイテッドシネマ豊洲

 まず最初に。
 これから見る方は、テアトル新宿は避けた方がいいです。2回目をテアトル新宿で見たのですが、どうやら空調の吹き出しがスクリーンに当たっているらしく、画面の一部が常時微妙に震えていて、気が散ることこの上ありません。



 さて。
 以前から書いているとおり、戦争映画が戦争の惨禍を伝えたいならば、「それが当時の日常である」という視点から逸脱すべきでないと、僕は考えています。そうでないと、描かれるものが「嘘・フィクション」と受け止められ、現実と地続きのものとして認識されないので、「自分には関係ないこと」という意識をより強めるだけだからです。

 だから僕は、原田版の「日本のいちばん長い日」が、遠い歴史物語として描かれたことを深く憂慮し、また、戦争の日常を描ききった「イノセント・ボイス」を高く評価しています。
 日本中に衝撃を与えている本作ですが、僕にあるのは「日本でもこういう映画が出てきたか」という感慨です。本作で衝撃を受けたみなさん、ぜひ「イノセント・ボイス」も見てください。

 18歳のお嫁さんの目線と、12歳の子供の目線の違いはあるものの、同様に庶民の目からまっすぐに戦争を見据えています。序盤から明確に「迫りくるタイムリミット」を設け、その近傍で日常からはずれ、また戻ってくる点も同じです。

 ただし本作では、そのタイムリミットは、「日本人にしかわからないのでは」という懸念があります。日本人なら誰もが教わる原爆の惨禍、その知識の共有をあまりに信頼しすぎている上に、潔癖なまでに「すず視点」が貫くがゆえに、情報に俯瞰性がありません。
 海外での公開も決まっているようですが、彼らは「何」が近づいてくるのかわからないまま淡々と日常を見続けるわけで、どう評価されるのか気になります。
 あの原爆の表現がどれほど斬新で衝撃的か! でも下手をすると、「なぜあの雲の後に雨が降らなかったのだろう? 不思議だ」という反応が出てくるんじゃないかなぁと……。

 イベントの詰め込み過ぎによる、安直な場面転換の多さもちょっと気になりました。もう少し減らしたほうがすっきりしたはず。「妊娠したかも」のシーンが、後に響かないのはどうなのか。「産めないとわかった」みたいなことかもしれないけど、あのご時勢、もしそうなら能天気な話は進行しづらいわけで……。



 ともあれ、「戦争の日常」を描ききった快作です。
 原作ではりんさんも交えた色恋模様の傾向もかなり強いようですが、オミットして正解だったでしょう。この物語に貧困の娼婦を交えてしまうと、「かわいそうな話」と勝手に定義づける人が出てきて、日常を描く意味が消えてしまいます。

 「日常を描く」作品は必ず喜劇になります。誰も、悲しい日常なんて見たくないのです。「イノセント・ボイス」では、楽しい日常に突然「戦時」が紛れ込む、という描写ですが、本作ではじわじわと「戦時」が侵食していきます。

 そう、これはどこまでも、単純な日常喜劇が貫かれるはず「だった」物語です。
 長谷川町子が「サザエさん」の連載を始めた頃は、戦後の文化が色濃く残っていたわけです。もし、サザエさんの連載が戦前から始まっていたならば、この作品と同じ感覚で、世田谷から見た東京大空襲を描写したであろうことは想像に難くありません。そして2016年には最新家電をやっぱり使っていることでしょう。

 先の大戦時の話をする際に気をつけたいのは、ライフラインが普通に生きていた事実です。
 たとえば、都電を含めた鉄道は戦争中もずっと動いていました。度重なる空襲で、東京都内の線路は随時壊されていますが、大半は即日、東京大空襲の直後でさえ主要路線は五日程度で復旧したそうです(不要とみなされて廃止済みの路線も多かった=すぐ復旧しないと困る路線だけが残ってたのも事実でしょうが)
 日本中の健康な男性はみんな戦場につれてかれて大半戦死、みたいな「悲劇」に慣れていると、そんな復旧工事のリソースがどこにあったのか、まったくわからないでしょう。

 本作のラストに終戦直後の呉の闇市が描写され、一方で「仁義なき戦い」は呉の闇市がオープニングなので、時間軸がつながっていることも話題になりました。
 時は綿々とつながっています。僕らの今の日常は、紛れもなく過去からずっとつながっています。戦争の最も大きな罪は、「戦前」「戦後」で時代を分断することかもしれません。8000万もの人が生き続けたのに。

 あるいはそれを「功」と呼ぶ人もいるかもしれません。現代が、「軍靴の声が聞こえる」などと形容されるならば、つまり、それが「功」になると思う人たち……この世にある、悪い風習とか悪い景気とか悪い政治家とかを、全部断ち切ってしまえばいいと願う、そういう思想の人が増えるほどにそうなるのではないでしょうか。



 この作品で特筆すべき点は、その日常が、ある一点から「明確に」覆ることです。この一点を境に、戦争の善悪なんて一語たりとも語ってこなかった作品世界が、崩れだします。

 その状況を、すずは、はっきりとこのように表現します。
 左手で描いた絵のように歪んだ世界」だ、と。

 そして本作で最も感動的なシーンは、終戦後にやってきた団欒で、「右手で頭をなでられる幻想」のシーンです。そこから、世界は元に戻るのです。


 で。
 こういう論争をしている人は、そこが「歪んだ世界」であることをちゃんと認識しているのでしょうか。絵物語であるアニメにおいて、絵物語を作ることが日常であるキャラについて、わざわざそのように表現しているのに。
 そこでしか論争できないならば、あなたの認知もまた歪んでいます。自覚されたし。哲さんは北条家を訪れた時点で「歪んで」いて、だから「普通でおってくれ」とすずさんに願うのです。

 当然のことながら、太平洋戦争はその時点でとっくに始まっています。戦争の是非はそれ以前で語られねばなりません。逆に、あのシーンに基づいて戦争の是非を語るのなら、「歪んだ世界」から「何のために我慢してきたんだ!」と、もはや何もかもが手遅れの状況で叫んでしまうすずさんに何らかのシンパシーを感じるのなら、「暴力が自分の目に見えないところにあるのなら、戦争してもいい」と言っているのも同じです。

 僕に言わせれば、本当にこの映画から「反戦」を見出したいのなら、序盤のすずさんの「どこに戦争がおるんじゃろうか」とのどかに言うシーンにこそあるでしょう。すなわち、「ジャーナリズムの不全」です。正しい情報が誰にも届けられない、それが、本来は外交手段であるべき行為を、「歪んだ」悲劇へ導くのではないですか。
 「戦争がどんな悲劇的に終わったか」をとうとうと語る人のどれほどが、「戦争がなぜ始まったか」を説明できるでしょうか(精神論でなく、アメリカとの資源外交の失敗など事実ベースのジャーナリズム視点で)。それが説明できなければ、戦争を止めるなんてできるわけないのに。


 うん……書いてて思うけど、やっぱり「歪んで」いますね。この物語の視点は、そんなとこにはないと誰にもわかるはずだのに、歪ませたとたんに議論百出する。物語がフラットであるがゆえに、それが可能になる。それさえも狙いというならば……。
 つまるところ、みんな片渕須直監督に手玉に取られたってことでさ!
 執念の力作、堪能いたしました
、と言うしかないでしょう。



 能年玲奈ののんびり穏やかな広島弁はパーフェクト。東北弁で一世を風靡した人とは信じがたいくらいすばらしい。出身は兵庫だってマジですか。方言に違和感があったのはお義姉さんの尾身美詞のほう、でもさほど気にならないです。こちらは東京出身、ていうかキャンディーズのミキちゃんの娘さんってやっぱりマジですか。

 能年さんの騒動のせいで、マスコミの宣伝がまるでされないとかいう疑惑が言われてますが(まぁこの話は眉唾ですが)、「君の名は。」の広まりも若年層のSNSが起点なわけで、「口コミ」が今までと違う力を持って今の絶賛につなげていることを、むしろ好意的に見たいところです。

 むしろ心配なのは、マスコミの側だよね。そういえばTPPって、「あらゆる」非関税障壁の撤廃を目的とするんで、もしアメリカも交えて発効したら、その理念からすれば日本のマスコミのクロスオーナーシップも即時解体すべき話になっておかしくないんです。それを考えれば、マスコミ業界は総力でTPP潰しにかかるのが自然なんですけど、その視点で報道してるのを見たことがありません。
 「どこに映画の宣伝があるんじゃろうか」とでも言えばいいのか、そうして都合の悪いことを隠して自分の都合のいいとこだけ見てるうちに、組織全体がのっぴきならない状況に陥って、いずれABCネットワークでサザエさんを放映するような時代になってから、あれ? どこかでたどった道だなぁと懐かしめばいいんじゃないでしょうか。



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posted by アッシュ at 17:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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